道灌山下平和会とは
「道灌山下平和会」は、名称からもお分かりの通り、戦後間もない昭和23年に誕生致しました。焼け跡に各商店が立ち並び復興の兆しが見えたころ、商店街の有志の店主が集まり親睦の目的で会を立ち上げたのがその最初です。当時はまだなかった駅、西日暮里と、千代田線千駄木駅の間にある、道灌山下交差点から南北各100メートル、西へ100メートルのT字型をした商店会で、不忍通りを挟み車の往来が多い都道沿いに位置しています。
根津神社23町会の一つ、千駄木三丁目北町会内にあり、下町情緒あふれる、穏やかな場所柄です。
商店会のモットー「安全で安心」して、いらしていただけることでしょう。
安全の第一として、まだ水銀灯しかなかった頃から、32基の街路灯を設置、今では第二世代の明るいLEDランプにリニューアルしています。第二として、早いうちから防犯カメラを導入しています。当時、駒込警察署管内には、設置している所はまだありませんでした。また、毎年懇親会を開催し会員交流の場として楽しいひと時を過ごしております。
道灌山と西日暮里の歴史
道灌山下平和会のある道灌山の歴史を少しひも解いてみましょう
西日暮里の名前の由来は、この地に太田道灌の城があったことによるといわれます。また一説には、関明山禅定寺や長養山勧修寺(現在の天王寺)の開祖で「道灌坊」とも呼ばれたという関小次郎長養が住んでいたからともいわれています。





明治以降は竹やぶが生い茂り「佐竹久原」と呼ばれていましたが、1916年に第二十七銀行(後の東京渡辺銀行)頭取の渡辺治右衛門が買収、近代的な田園都市を目指して高級住宅地を建設・分譲しました。一帯は渡辺町と呼ばれ、石井柏亭をはじめ多くの芸術家や文化人が住んでいました。1932年には区制が施行され、日暮里渡辺町が正式な地名として採用されています。


江戸時代(1603-1867)には虫聞きの名所として知られ、秋には文人墨客が訪れたといいます。秋になると文人たちが訪れ、月を眺めながら松や鈴虫の鳴き声に耳を傾けました。
近くの定光寺、本行寺、青雲寺は、それぞれ文人的趣味で、「雪見寺」「月見寺」「花見寺」という風流な名でも呼ばれました。道灌山の大部分は秋田藩主佐竹氏の居城でしたが、東の崖っぷちは人々の保養地でした。晴れた日には筑波や日光の山々が望めました。今でも、お諏訪様(諏訪神社)の境内や西日暮里公園から眺めることができます。
道灌山下平和会 活動状況
街路灯維持管理(一昨年32基 LEDランプとカバー他リニューアル)
防犯カメラ維持管理(町会との共同作業・一昨年4基増設)
文京区非常食配布に協力・・・各会員と子供食堂・町会子供まつり
町会子供まつり 学習ノート寄贈
町会 夏のラジオ体操に協力
千駄木マラソンに賛助金
恒例 秋は会員皆様と懇親会(昨年は稲毛屋さんにて)
AEDの設置もしています
防犯カメラ
