「長浜商店」は昭和~~年に創業しました。
道灌山と西日暮里の歴史
西日暮里の名前の由来は、この地に太田道灌の城があったことによるといわれます。また一説には、関明山禅定寺や長養山勧修寺(現・天王寺)の開祖で「道灌坊」とも呼ばれたという関小次郎長養が住んでいたからともいわれています。





明治以降は竹やぶが生い茂り「佐竹久原」と呼ばれていましたが、1916年に第二十七銀行(後の東京渡辺銀行)頭取の渡辺治右衛門が買収、近代的な田園都市を目指して高級住宅地を建設・分譲しました。一帯は渡辺町と呼ばれ、石井柏亭をはじめ多くの芸術家や文化人が住ん居住しました。1932年に区制が施行され、日暮里渡辺町が正式な地名として採用されています。


江戸時代(1603-1867)には虫聞きの名所として知られ、秋には文人墨客が訪れたといいます。秋になると文人たちが訪れ、月を眺めながら松や鈴虫の鳴き声に耳を傾けました。
近くの定光寺、本行寺、青雲寺は、それぞれ文人趣味で雪見寺、月見寺、花見寺と呼ばれた。道灌山の大部分は秋田藩主佐竹氏の居城でしたが、東の崖っぷちは人々の保養地でした。晴れた日には筑波や日光の山々が望めました。
